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ホーム 追悼齋鹿逸郎インタビュ-

井浦:先生今日はよろしくお願いします!なんか改めてインタビューって照れますね。でもはじめましょう。さて、先生の作品って一連こういう様な作品ですけれども元々インターネットを見る本当初めての人にどういったことでこういう風な仕事を長らく続けてらっしゃるのかって?まあ難しいところだと思いますけれども。

齋鹿:それは難しい。僕さ、話が下手でしょ。それでつかえるでしょ。そうすれば生身をさらけるのはマイナスじゃねえのか?

井浦:いやいやマイナスじゃないです!うちの奥さんなんかもそうですけど先生に会ってから先生の作品ホント好きになったって言う一人なんで。

齋鹿:だから、短か―くさ、ちょっとやってちょっちょっ!ならいいけどさ、ずーとしてるとなんだぁ聞き取りにくいし嫌だーってなる可能性もさあるから。

井浦:そんな事ないと思いますけどねぇ。。

齋鹿:あるからぁ!でもまぁね。しかしもう、鉛筆の事をさ50何年そろそろ60年でしょ?でね、僕いろんな勉強ね。西洋も日本の古典もね、勉強してきたつもりよ。けどね、一貫してね、西洋の真似も古典の真似も人の真似もしないぞ!って言ってさ、一番の辛抱は真似をしなかったていう事さ、そしたらこういう風になっちゃったもんね、まあそれが良いのか悪いのか判断はまだできない。しかし真似じゃねぇぞ!って事でずっときてしかもその中には絵の精神だけじゃ無しに日本人の要素をずっと、それをなるべく見つめて濃厚に入れたいんだよな。入れたいって言うよりもこれが日本なんだぞって言うような事を躊躇しないで言えるような仕事。それをずっとしてこれたっていうので。まぁまだ満足じゃないけどね。皆にさ、仕事って言うのはそういうモンなんだとていうのを言えるんじゃないかな?ってね。まぁそれはまだね結論じゃないんだね。道はずっとつけたんだって事は言えるんだぞ!ってことね。

井浦:先生が一番最初に表現っていう道に入った時の何かそういうきっかけみたいなものっていうのは?

齋鹿:いや、これね、その、僕、農家の長男なのよ。それも相当のその辺じゃ一番大きい農家だったんだよ、そしたらそこで暮らせば十分なんだよ。その当時普通はね。しかしね、なんか将来暗いなって思ったら出なきゃって言うことでしょ。出たのが25、6だったんだ、上京ね。それでね、上京しても何するか一切決まらなかったんだ絵も一切しなかった。それで何しようかなって思ってボーっとしてボーとしてたので先生まぁ辻新明先生が「上京して何をするんだ?」って言われるんで、「さぁ文学でいきたいんです」って言ったんだ、そしたら「文学じゃぁ食えねぇぞ!」って言われるんだな。「そしたら何にしましょうか?」って言ってそしたら「斎鹿はね絵でもやった方がまだいいだろう」ってね、絵って言ったって何にも知らないんだよ俺。それでさ「絵ですか?」「うん絵くれぇじゃないのか?」って言ってじゃぁって言ってはい!って言って入ったんだよ。何にも知らなかったよ。それが良かったんだよ。何にも知らない。

井浦:先生の作品っていうのは基本的にモノトーンの世界。それこそ「白と純白のあいだに」ですとか色々と展覧会やられましたけれどもこのモノトーンて言う世界に関しては何か一つ思い入れというか考えてらっしゃる事がありますか?

齋鹿:あのさ、東洋は墨でしょ?ね。墨ってさ1000年間もう生きていると・・・。これは良い武器じゃないかなって思ったんだ、まぁこれもしかし墨はさ筆を使わなきゃ駄目でしょ?それは子供の頃からもうやってきた昔の人には負けると、なんかね白黒で方法なんかないのかなって、それも一年間くらいずっとあれ使ってみたりこれ使ってみたりしてたんだよ。そして鉛筆に出会ったのもね、初めはカーペンターペンシルてあの幅の広いやつ、それでこうしたら小さい正方形が作れるでしょ。その正方形で大きい画面をうずめてみたらどうなるかって言ってね、それが鉛筆を使う初めなんだ、だからね鉛筆を使う白黒を材料とするのも大きいものを作ることに役立つものを考えたんだ。それがはじめ10年間近く四角、正方形を小さく重ねる仕事でこうずーとしてたんだ。でそれをしてたら目を壊したんだ、四角の細かい黒をずっと見てるとさ、目を壊すの、壊しちゃったんだ。

井浦:壊すっていうのは具体的に病気みたいに?

齋鹿:病気。目が明けれないくらいさ眩しい状態。病名は長い病名、網膜剥離なんたらとか、なんとか性なんたらとかってね、網膜の一番奥に小さい水疱ができるんだ、そしたらその水泡の部分が視野の中で黒く見えるんだ、ぼっぼっぼってすんだ、それが右に来り左に来りこっちにきたりこっちにきたりもう目が明けれない状態ね、それで医者行ったり色々としたら僕の親しいのが目医者さんだったの、それで話したらこうこうこうなんだって言って。いくら薬を使ったって治らないと、まあこれはさ目を使わないで半年くらいのんびりしていなきゃいけないし、薬も無いしまぁ遊びなさいって言う事だったんだよね。

井浦:今も後遺症はあるんですか?

齋鹿:ある。しかしこれは病気じゃないんだ、使い過ぎなんだよね。その親しい医者は薬を一切くれないんだよ。まぁ遊びなさいってそして塩分を取らないことね、そしてさもう一つ女性を遠ざけなさいと。そうやって生きてれば半年で仕事できるようになると。薬は一切無し(笑)。

井浦:先生は今もとんかつとかお好きなんですか?

齋鹿:好きなんだよ。しょうがないなぁ。

井浦:ずっと食べてらっしゃいます?

齋鹿:うん。

井浦:ところで、先生が長い作家生活の中で影響受けた作家もしくはこいつ良いなぁって思った人物っていらっしゃいますか?

齋鹿:日本じゃねぇ、僕の先生ね(早川幾忠)。先生は別でしょ?まぁ絵の方じゃね残念ながら明治からじゃいないんだよ、やっぱりな。まあ一番気持ち的には浅井忠ね、もう構えない浅井忠のそういうことじゃそれは絵の参考にはしなきゃ駄目ね。それで何よりもマチスとブランクーシだよ。二人の他にはこれって学ぶつもりが無いんだよね。あんまりね。学ぶのは他の絵じゃない人なの。なんていうのかなぁ。文章で一番これはと思うのは小林秀夫でしょ。他はないんだよな。あんまりな。しかし古典も色々見たよ、まぁ芸術家じゃマチスとブランクーシだろうなやっぱりね。うん。でねマチスに不満なのはさ彼、抽象やれないでしょ?不満なんだよな。しかし、作品は良いんだよやっぱり。まぁ、抽象も僕のほうが形が無いんだもん抽象じゃないんだよ俺のはなぁ.、まあその辺、本当に過去の人を参考にしてこれをしたいっていう絵描きはいないんだよホントね。しかしまぁそういう事よりも日本の文芸ね、そこにくるものが本当に具象なのか抽象なのか分からないんだ。その中の抽象の部分を何とかして自分のモノにしてみたんだな。そのくらいでしょ。

井浦:やっぱりそれが先生が一番最初におっしゃってた表現に関して誰の真似もしない!ってことがそうであればマチスとかは良いにしろ参考になるようなものはないと。。

齋鹿:具象だもんなぁ。いいよ。参考にもしたいんだ。本当は。しかしさ形作らないものがマチスの真似のしようないもんな。あいつな。そういうね。これもいいもんさ、はてな?俺の仕事にどういう風に取り入れようか?ってね、ないんだよやっぱ。よりも日本のさ、日本人の歴史の中で何が消えないか、何が消えたのか?それをずっと探す勉強してると1000年も2000年も消えないものは何なのか分からなくなる。
でもさ100年くらいでどんなものでも一回は消えるんだ、それでまた出るんだよな。光悦、宗達、雪舟なんかも追い越せないでしょ?でも出る。何なのかなぁってそういうことがいい勉強になってるね。残らないものが何なのか?残るものが何なのか?刺激の強いだけじゃ駄目なんだってことでしょ?まぁ、僕、満足しているわけじゃないモンね、しかし初めからの鉛筆画を60年してみてもなんか知らないけど新鮮なんだ。よしよしよしって思うんだ俺さ。そういうね、何になるか長くっていって人の気持ちなり自分の気持ちに浸み込んでくるのか。それは頭で考えたり新しさで考えても駄目じゃないかなって気がして新しい事もせいぜい10年しか持たないでしょ。何がずっともつか?なんて分からないもん。分からないのが好きなんだ俺は。

井浦:なるほど、最後の質問にさせていただきますけれど、今後インターネットを通じて作家活動芸術を勉強している学生とかも先生のこれを見る機会が増えてくると思うんですけれど、今後の美術業界に関して何か展望、期待する事、若手の作家に期待する事ありますか?

齋鹿:あのね、何よりも日本中の芸術家ね、恐らく何十年かしたら廃れるよ。くだらないのばっかり並べる結果になるでしょ。そういう美術の世界に協力する事はないんだと。どこまでも芸術は個人のものなんだよ。個人を大事にしてもらえる美術館ならいいよ。しかし日本の美術館の9割何ぼは捨てるべきモンだよ。そんなものは捨てなさいと。違う心を持った人間達が別の芸術家の為のの美術館作らなきゃつまらないよ。まあそれが一つとね。今ね美大、芸大生徒学生は何勉強してるの?勉強しているものは現代を勉強しているでしょ。現代は10年したら次の現代に負けるんだよ必ず。もっと勉強すべきものは静かに自分で探して個人でこれをやりたいって言うものを先生を信頼しないでやるくらいの若者でなきゃ何にもできないよってことだね。特に日本人は人の言う事に惑わされがちなんだよ、やるべき勉強をしていないでしょ。それで古典なんかいいものいっぱい在るのに見る目も本当に育たない。育たないように先生がしてるんだあれ。今の事をやれやれやれそうじゃぁないでしょ?そういう詰め物だけじゃないんだモンな。もう少しさ世界中を本当に見てるのかと。先進国しか見ていないでしょ。芸術も美術も、アフリカ原住民もみんな同じなんだよ人間なんて、そんなこと大学で本気で勉強してるのか?
先進ばっかりでしょ?それじゃ勉強じゃないし、日本の事をあまりにも知らなすぎるんだ。口利けないくらい勉強してないでしょ?新しい事をはやるべきなんだ、しかし、10年持てばいいつもりでやらなきゃ。ビデオでもなんかでいいセンスだと思ってみるんだからさ、これ4.5年ってことがすぐわかるんだよやっぱりな。長くずっとあるべき芸術を短くてもいいって言えばいいんだもん、そんなんじゃ歴史の中で負けるでしょ。負けちゃいかんでしょ?
俺の仕事の解説はね一番難しいんだよ。言葉にしたことがないんだよ。言葉なんかに、批評家の言う言葉と一緒にならないんだよ。なんていって現代性って言ったってないな。その迫力。時代性ないな。何にもないないないない。マイナスの絵ってことだ。

井浦:描かれてる時に何か頭で考えてる事ってありますか?

齋鹿:無いんだよ。何にも無い。

井浦:先生がずっとやってきてるのことの作品が断片断片ってことですものね。

齋鹿:そそそそそ。あのね一番普通に批評家が聞くのが、どういうイメージで描いたのかって言うことなんだこれ見ると。イメージは絵が大体下地がこれは濃い下地が作れるなって言う辺からそのイメージみたいなものを発見するんだよね。初めにこういうものを作りましょってことは一切ないんだ。それじゃあ作れないのよ。初めに白い紙もって来てこれがこうなってなんて一切分からないんだ。下地を濃くしたのか強くしたのか薄くしたのかでちょっと違えばこうなるこう成るしこう成るし初めにこれをこうしてってその様にやった絵は一つも無いんだよ。皆7文目位から仕上げだっていう時にこうだ、こうだって決まるんだ同じ事をずっとしても8文目位からの仕上げでこう成りこう成りこう成り。それでこれまで作ったんだ。小品って言っても同じ物は一つも無い。同じ様な物も無い。50年してきても同じ様だなって思っても違うんだよね。それが、人が複製作ろうっていったって作れない理由だしその一つ一つに題名年号無いんだよ。7割位まで同じに成りそうで皆違うでしょ?題名どう付けるの?初めはこう何とかとか言ったってみんなわーと違うでしょ。題名一つも無いんだ。何年の何番目なんだみんな。だってつけようないもん。

井浦:あえて付けるならなんですか?

齋鹿:人が勝手につければいいよ。おもしろいぞ!

井浦:カラーの物は試した事ないんですか?

齋鹿:これじゃあない。初め鉛筆に行く前二回個展したんだ。それはやったよ。作品は一切ない。勝鬨橋に運んで作品みんな捨てたんだよ。面白かったなぁ。ベニヤなんだよ。ベニヤに描いたんだよ。二回して、その一回のやつがどこかに残ってたと思うんだよ二点くらいね。しかしもう分からない。

井浦:そのときも抽象だったんですか?

齋鹿:一応ね。しかし物を使ってね。いろんなものをいっぱいくっ付けて。

井浦:コラージュみたいな?

齋鹿:そそそそ。その写真はね、探せばあるね。

井浦:興味ありますね(笑)

齋鹿:その前ね。上京してきてすぐじゃぁ是非先生がさ絵をやればって言ったんだよね。どうしようかって言うんで研究所いったんだよ。そしたらそこはね年中さ、なんかヌードをそこの主人が金持ちでヌードを描くんだよ。そのついでに描きたい人来なさいっていって、そこへ連れて行かれたんだよな。それで一年半、描くようなふりをしてさ、描けないもんだって、初めてで何にも知らないもん。なんだかんだしてそれでね一週間づつ変わるんだヌードがね。そうすると一年間計算して60何人見れるんだよ。ずいぶん見てたね、こっちからあっちからしてな。それでチョコチョコ描いてね。それは良かった。そこへね日展の偉い人や色んなヌードを描きたい人が安い値段で来るんだよ。伊藤清永さんや三岸好太郎さんが来てたよ。うまいな、うまいな、うまいなって言ってるくらいだな。しかし、みんな来ている人がさその頃の金持ちなんだ。ブルジョアなんだよな。ああ、絵描きって言うのはブルジョアで無ければいけないなって思ったんだよな。

井浦:今日は本当に有意義に楽しかったです。先生有難うございました。今度とんかつでもご一緒させてください。

齋鹿:いいねぇ。成るべく早くね。


インタビュー後記
その後、不義理な私は日々の細かな仕事に追われるまま日々を過ごしてしまい、先生ととんかつを食べに行くことが叶いませんでした。私の好きだった先生の愛嬌のある話し方をなるべくこのインタビューを読んでいただく方にも感じていただきたく、読みにくくなってしまうとは思いましたが、インタビューの言葉をなるべくそのまま活字にしました。少しでも齋鹿先生の人柄を感じていただくことが出来れば幸いです。
2004.6.26 井浦歳和